くにさんの気まぐれ日記

思うところ、思うがままに、勝手に書きます。

頼らないから迷惑をかけていた?

 月曜日からの出張が楽しみだ。6月に大鬱で延期した調査。
 楽しみだと言っても、躁状態からでは無さそうだ。ここ数日、睡眠時間が長い上に、日中もやたらと眠くて昼寝は必須。眠いと真っ直ぐ歩くのも難しい。食欲も抑えられない。明らかにうつ状態だ。これより悪化しないといいが。
 でも、体が鬱でも気分が鬱になっていないから、出張が楽しみだと思えるのだろう。今までと何が変わった?

 興奮剤を飲まないと決め、そのことを主治医から上司らに説明してもらい、辛いときには無理せずに頼ればいい、そう言ってもらえた。あるいは、以前からもそう言われていたのかも知れない。
 今までは、自分が自分であるためには、興奮剤を飲んでまでしてとにかく頑張らなくてはいけない、そう思っていた。
 でも、興奮剤を使わないとなると、頑張ろうにも頑張れない。そして、今まで興奮剤を飲んで見かけ上「頑張って」いたが、薬を止めるために「頑張れなくなること」を主治医からの説明で上司らに理解してもらった。
 その結果、自分が「頑張れない人間」であることを、周りの人以上に自分自身が認めたのかも知れない。「頑張れない人間」が働いていくには、生きていくにはどうすればいい?身近に自分を理解して、支えてくれる人たちがいてくれるのならば、「無理しなくていいから」との言葉に頼ってしまおう(もっとも、周囲に自分を理解してくれる人たちをいかに確保するかが、重要な問題だが)。
 「頑張れない人間」。このレッテルを他人からも自分からも貼られるのが嫌で、頑張れないくせに頑張ろうとして、いつも鬱の深みにはまり込んでいたのかもしれない。でも、「頑張れなくても仕方が無いんだ」「無理して頑張らなくてもいいんだ」「最善を尽くした上で、これ以上は無理、という時には他人を頼ってしまっていいんだ」。こう考えられるようになると、むしろ気楽になれる。気軽になれれば体が鬱になりつつあっても、心の鬱はさほど悪化せずに済む。だから、出張が楽しみなのかも知れない。

 私の身近なところに私の理解者がいて、その人の働きかけで理解者が増える。その人たちの影響でさらに増えているのかも知れない。有り難いことだ。この状態にあぐらをかかないよう、肝に銘じなくては。